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35.セレンディピティーの勧め(平成18年4月吉日)
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「セレンディピティー」という言葉が最近よく聞かれるようになりました。科学やアートの世界で以前から使われていたのですが、偶然なにかを発見するというような意味です。「人は新しいなにかを創造するのではなく、すでにある記憶の中から発見するだけ」という言葉もあります。必死に考えている時より、思わぬ時にフト浮かんでくる。それが、実はとても有効なアイデアだったなんてことも結構あるのでございます。

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「探しモノは、探すのを止めたときに見つかるコトも良くある話で」は歌の文句です。セレンディピティーの語源になった「セレンディップの3人の王子」は、王命により旅をします。目的は果たせなかったけれど、ひたむきに努力したことから思わぬことで国を救うという逸話です。アインシュタインは、空間は歪み時間も一定ではないことを証明しました。最短距離は直線ではなく「急がば回れ」的に曲がっているのかもしれません。スポーツでも追いつめられて開き直った時に意外な力が発揮されるのをたびたび観るのでございます。

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セレンディピティーが注目される社会的な背景に現代の閉塞感があります。特に、日本では未来に希望が持てず自殺者が増えている点も見逃せません。経済的な問題も確かにありますが、現在の日本がそれほど貧しい訳ではありません。子供は大人社会を映し出す鏡。小学生が自殺するような世の中は、なんて変な時代なのでしょう。情報化社会の影響で将来のコトが判っているように錯覚してしまうのでは? と私は考えるのですがいかがでしょう。実際に過去の自分を振り返って、今の自分は想像できませんでした。なにかやれば結果は思わぬ方向に進むのでございます。

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目的を強く持つのは必ずしも悪いコトではございませんが、目的を達成することが全てではありません。本当に大切なモノは思わぬところから生れます。過剰な力が抜けたときに自然に立ち現れてくるのではないでしょうか。そして、逸話が教えてくれるのはたゆまぬ努力を続けるコト。誠実さが結果として奇跡を生む話です。情報がもたらす単純な社会の価値観から自己評価するのを止めましょう。すると、人それぞれの近道がフト見えるかもしれません。

掌中のアート
午後5時55分
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