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49アイドルの勧め(平成19年6月吉日)
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61 マクラの薦め (平成20年6月吉日)
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このごろ気になっているもの、いや昔から気になっているのは落語です。といっても、寄席などには数回しか行ったことのない程度の、なさけないファンです。基本的に笑いの芸能は全て好きです。ものまね芸なども好んで観ていました。古典落語には、イントロとして枕がつきます。グリコのオマケみたいなものです。その枕がやたら長いとか、本題よりもオモシロイなんてことがございます。そこで、落語の枕について考えてみましょう。
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映画は、最初の部分を観ると、作品の質がおおよそ判るものです。小説でも、物語の始まりと終わりはとても重要です。古典落語の噺は決まっていますから、いきなり本題に入るのでは芸がありません。噺家たるもの、枕のふりには、それなりに悩むに違いありません。テレビで落語を観るようになった頃、爆笑王の名をほしいままにしていたのは林家三平でした。本題の落語は聞いたことがありませんが、「どうもスイマセ〜ン」と言いながら、頭に手を乗せるだけで爆笑が起こるのです。観客を取り込む話芸は、三平の専売特許でございました。
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ところが、三平師匠は真面目な人で、古典の稽古は欠かさなかったと聞きます。多くの弟子からも慕われていました。今なら、落語ができない(?)明石家さんまが、話芸だけで他の追随を許さないのと似ています。『オレたちひょうきん族』での、さんまとタケシの絡みは忘れられません。本当の「おかしみ」というのは、上手く説明できませんが、にじみ出てくる滑稽さとでも言えばいいのでしょうか。その点では柳家小さんの顔が思い起こされます。また、小さんを師匠とする柳家小三治が好きでございます。小三治は「まくら」だけの本まで出版しています。
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本題に入る前の小話をなぜ「枕」というのか知りませんが、マクラは高すぎても堅すぎても、気持ち良い眠りは得られません。古典落語は、決まった形のなかで、話芸一つで聴衆を笑いに誘います。とりわけ、噺の枕は落語家のセンスが表れ、力量が出てしまうようでございます。「古典」としての本題と「現代」の世間話である枕。「伝統」とは過去を借りて今を語ること。私が気になっているのは、どうもそのことなのかもしれません。
掌中のアート
午後5時55分
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