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ジョン・レノンの音楽や人となりについて、私がとやかく言うつもりは毛頭ございません。ビートルズの音楽は、ラジオやテレビで自然に流れていました。夢中になっていた世代や強い影響を受けたミュージシャンから、私は間接的に影響を受けた年代なのではないでしょうか。ジョンが異常なファンから狙撃されて死んだ事件も、不可解さが強く記憶に残ったものの、大きな悲しみではありませんでした。 |
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ビートルズ来日の1966年、私は小学生でした。とにかく、異様なニュースだったことを憶えています。ビートルズやジョンの音楽は日常に流れているので、レコードを買ったこともありませんでした。最近になってリマスターされたアルバムをいくつか手にすると、今でもビートルズは古さを感じさせず、美しいサウンドを聴かせてくれます。とりわけ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は、楽しくて飽きません。架空の観客87人をコラージュしたジャケットも、特に斬新です。 |
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その有名なジャケットの左下に福助人形が座っているのをご存知ですか? ジャケットの説明書きにも、84番「Japanese stone figure」と記録されています。なんと、これはビートルズ来日の際、ジョンが厳重な警備からホテルを抜け出し、表参道のショップで自ら買って帰った一品なのです。招き猫でも市松人形でもなく、おそらくジョンは最も日本的な記念として、大きな福助を選び持ち帰ったのでしょう。日本文化に強い関心を抱いていたジョンは、後にオノ・ヨーコと再婚するのでございます。 |
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ヨーコがジョンに与えた影響というのはあまり語られません。しかし、ヨーコは前衛アーティストで、作品がきっかけでジョンは夢中になったようです。ジョンが撃たれた時にかけていた眼鏡を、当日にヨーコが撮った写真を偶然見たことがございます。ふと気になり、意味を知らず足を止め、後に理由を知りました。私自身はヨーコのファンでもありません。ただ一つのつながり、それは「福助」なのです。 |
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